僕は普段アクセサリーをほとんどつけない。
仕事でアクセサリー禁止というのもあるのだが”意味”を持たない装飾品に興味が湧かなくなってしまったのだ。
アクセサリーは本来、意味を持たせるもの
元来、装飾品は地位の象徴や魔除けなど何かしらの”意味”を持って身につけられていた。
しかし、それは権力者などの一部の人間だけだった。その起源は古代エジプトからだったという。
ネックレス、指輪、ブレスレットなどのアクセサリーは天然石を使ったものが主流で、自然の力を持った特別なものと考えられていたのだ。
現代でもエンゲージリングなど記念品として身に着ける習慣がある。
アクセサリーには、衣服にはない何か自己を投影したくなる不思議な力がある。
それは”祈り”といってもいい。
キリストの十字架、仏教の数珠など、宗教にもアクセサリーはなくてはならないものだ。
さて、僕にとっての祈りはというと、それは亡き愛犬をいつまでも忘れないということだ。
僕の”意味”は愛犬を弔う気持ち
5年前に他界したシーズーのハナ。僕が9才の時から一緒だったので13年間、同じ屋根の下で暮らしていたことになる。大切な家族だった。
よく、朝になると僕の部屋に入ってきて顔を舐めてきたり、僕の体にくっついて一緒に寝てたりとそんな仕草がとても愛おしかった。
だが、ペットというのはいつか別れが来るものだ。それが嫌でペットを飼わないという人も少なくない。
僕もハナが亡くなった時はしばらく何もやる気が起きなかった。
心ここにあらずとはこのことで、僕はただの抜け殻になってしまっていた。
しばらく経って、ようやく現実が戻ってきて僕はある一つの決意をした。
家族がいなくなるというのはとても悲しいことだ。
だが、いつまでも悲しんでいてもその家族は帰ってこない。
せめて、一緒に過ごした楽しい思い出、そして今回の悲しみを忘れないこと。
それが僕の決意であり、祈りでもあった。そんな祈りを僕は指輪に込めることにした。
クロムハーツのドッグインバンドリング
それがクロムハーツのドッグインバンドリングだ。
ハナが亡くなってからクロムハーツ銀座に行き、オーダーした。
名前の通り、犬がモチーフである。
ケルト神話に登場する番犬で、英雄、クー・フーリンの由来でもある。
クロムハーツというとゴシック調の力強い彫りが特徴だが、このドッグインバンドリングは彫りも少なくすっきりとしている。
クロムハーツ好きには人気がないのか、日本にはあまり入ってこないしサイズ展開も少ない。
ハーフサイズは一切作っていないとのことだ。
なので、US7.5のサイズをオーダーで作ってもらった。
6ヶ月掛かったがサイズもぴったりで素晴らしい出来だった。今は左手の人差し指が定位置になっている。
休みの日にしか着けられないのでお守りというほど、肌身離さずというわけではないが、身に着けているとハナが見守ってくれているような気がする。
間違いなく僕にとって”意味”のあるモノだ。
衣服と装飾品の違いは身体を守る為なのか、精神的な支えの為なのかの差だと僕は思っている。
衣服は寒さなどから身を守れるが、装飾品はそういう利点が見つからない。
戦いの時に剣や矢の攻撃を防ぐ為、アクセサリーを着けていたという説もあるが、古来からほとんどは神具や通過儀礼の道具として扱われた。
それだけ、ネックレスや指輪には神秘的なものを思わせる何かがある。
クロムハーツでも、露店で怪しい外国人が売っているシルバーアクセサリーでもどちらでも関係ない。
自分にとって何か願いを込められたアクセサリーは、それだけで”意味”を持った精神的な支えになるはずだ。
それだけ人間の歴史においてアクセサリーは重要なファクターだったのだと僕は思っている。
では!