日本人といえば米。米といえば日本人。
僕達は当たり前のようにお米を食べている。
切っても切れない関係だ。
そんなお米を食べる時、何気なく使う茶碗も僕達、日本人にとって馴染み深いモノである。
伊賀焼の茶碗
伊賀焼の茶碗。
三重県伊賀市によって作られている伊賀焼は1200年前から始まったとされている。
300万年~400万年前まで遡ると、伊賀市がある場所は元々、古琵琶湖の底だった場所とされており、湖底にあった動物の死骸や植物は長い年月をかけて分解され、土の一部となっていった。
そうした良質な土を使って作られているのが伊賀焼である。
派手さはないが、力強く、野生味溢れるその形や色は、かの千利休からも愛されていたという。
伊賀焼の代表格である「土鍋」
黒と乳白色のこの色合いに見覚えがある方も多いのではないだろうか?
そう、伊賀焼はその耐熱性の高さから土鍋が有名で、高級料亭などからも信頼を置かれている。
“伊賀焼の土鍋以外は土鍋の形をした別モノ”と評する人もいるくらい伊賀の土は別格なのである。
底の乳白色の部分が特に特徴的で、多孔性な素地は火の熱をダイレクトに伝えず、鍋全体の遠赤外線効果で温める為、ムラがなく、ふっくらとお米を炊き上げるのだ。
この茶碗も同じで熱々のご飯をよそうと、その熱を留め、味が落ちるのを防いでくれる。
そして、黒い茶碗は、白いご飯とのコントラストでより、お米の輝きを引き立ててくれる。
日本人と焼き物は切っても切れない関係
焼き物は昔から日本人の生活と密接に関わっていたが、現代は芸術品としてのイメージが強い。
しかし、本来は日用品としてごく当たり前の存在であり、もっと身近に感じられるモノであって欲しいと思う。
伊賀焼だけではなく、備前焼、美濃焼、有田焼、九谷焼など様々な焼き物がありその特徴も千差万別だ。
特に九谷焼はその華やかな外見から、スニーカーブランド、MADFOOTとコラボレーションして、スニーカーを手掛けたりと認知度を上げている。
触れる機会がないだけで、廃れていってしまうのはとても悲しいことだ。
かくいう僕も陶芸はやったことがないのだが今、非常に興味があることの一つだ。
土を触る機会というのも、大人になってから減ってしまった。
むしろ、今は子供でさえ砂遊びをしなくなっているらしい。
子供の頃は、泥遊びや土いじりをしているとなんだかリラックスした気持ちになって心地よかった。
文字通り、自然と触れ合う、一番身近な行動だからだろう。
陶芸は、成形や焼きなど難しい技術も必要になってくるが大の大人が土を触る機会としてはとてもいいのではないかと思う。
そこから焼き物の世界がもっと認知されていけば、日本人としてこれほど嬉しいことはないだろう。
では!