日本の伝統工芸品を見ていると不思議と心が落ち着いてくる。
ましてや自分で作ったものは特別な思い入れがあるし、どんな立派な作品よりも価値があるものだ。
機械化が進む現代で、あえて手作りの工芸品を使うことは、この上ない贅沢なのかもしれない。
自分で作った寄木細工のコースター
この寄木細工のコースターを作ったのは、今から15年以上前の僕がまだ小学生の時だ。
寄木細工とは、神奈川県箱根町の伝統工芸品で、材色や木目の違いを生かして幾何学模様を表現した木工芸のこと。
木工芸といっても、これは12枚の木のピースを張り合わせただけだが本来、宝石箱や菓子器などがあり、その美しさと繊細さは圧巻である。
ちなみに箱根駅伝の優勝トロフィーはこの寄木細工で作られている。
僕が目にしたことがある、からくり仕掛けの箱は今思い出しても”すごい”という言葉しか出てこない。
からくりというのは箱を開けるのに手順があり、それを一度でも間違えると開かない箱だからだ。
仕組みとしては木の湾曲する特性を生かしているのだが、それを計算しながら作るのは長年の経験と技術がないと到底できないはずだ。
日本人にとって木は特別なもの
古来、日本人は生活の中で木と密接に関わり、木のものづくりをしてきた。
木は先でも話した時間が経つと湾曲してしまう特性がある為、非常に扱いづらい。
だが日本人の繊細な感性と技でそれを克服し、木工芸を作り続けてきたのだ。
昔から大樹を神として崇める風習から、日本人にとって木は本当に特別な存在だったんだなと思う。
そのDNAは僕らにも受け継がれているわけで、樹木に囲まれていると心が洗われるような気分になる。
今やコンクリートやプラスチックなど人工物に溢れた世の中なわけだが、それらと木の決定的な違いは木が生き物であるということだろう。
木造の家に行くと温かな気持ちになるのはその材木たちがかつて生き物であって、生命のぬくもりを僕達の肌に伝えてくれるからなのだと思う。
15年経った今も現役
このコースターもそんな木の体温を肌で感じられるモノだ。
今でも茶の受け皿として使っている。
15年以上経っているのだが、まだまだ何十年も使えそうだ。
木は年月を重ねるごとに味わい深くなってくる。
革と同じだ。革も元々、生き物であったわけだから生命の力強さというものを感じざるを得ない。
これを作ったのは小学校のイベントで、みんなで箱根に行った時だが、当時は15年以上も大事に持っているとは思いもよらなかっただろう。
色も濃くなってきてますます愛着が湧いてくる。
今でもたまにゆっくり眺めて楽しんでいる。
そのようなモノが手元にあるというだけで僕は幸せなのだ。
では!