あなたが抱く『勝ち組・負け組』の定義。今から僕がぶっ壊しますね


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この資本主義社会において、勝つ人間と負ける人間がいるのは当然のことだろう。

小学校のかけっこみたいに”みんなで仲良くゴール”なんてことは社会では通用しない。

一つの幸せはたくさんの不幸によって成り立っている。

そんな風に思えてくる難しい世の中だけど、そのカオスとも呼べる僕達の社会は時に、大切なことを覆い隠してしまう。

それは環境などの外的要因もあるし、僕達の心の弱さによる内的要因でもある。

では、その”大切なこと”とは何か?

僕なりの考えを少し述べてみたいと思う。

そもそも社会においての勝ち負けとは?

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この地球上に何十億人と生きる我々人類は、「戦いの歴史」を続けてきた。いや、現在も続けている。

国家間の戦争では様々な思惑が入り混じる”人間”らしい戦いが繰り広げられるが、もっと遡った古代の人類においては、勝ち負けとはいわば、「生死」によって決まる。

実にシンプルな話だ。死んだら負けなのである。

それを踏まえて、僕達の現代社会の話に戻そう。

僕達にとって勝ちとは何か?

良い大学に入ること?大金を稼ぐこと?地位や名誉を手に入れること?

そうじゃないはずだ。生きていること。それ自体が勝ちなのだ。

FXで失敗して借金を抱えたり、会社をクビになったくらいでは負けと言えない。

なぜなら次があるからだ。生きているかぎり何回でも再挑戦できる。

過去に行われた”決闘”では負けは死でしかない。

佐々木小次郎は宮本武蔵に負けたからといって「次こそ勝つぞ!」などとは言えなかったのだ。

今でも紛争地域や飢餓が発生している国などは、常に”死”と隣り合わせの生活を強いられている人達がいるが、僕達が住む日本という国はどうだろう?

負けたら死ぬだろうか?

メディアで唱えられている『勝ち組・負け組』の基準がいかに生易しいものかがわかるはずだ。

自然界に目を向けてみる

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僕達、人間より毎日が過酷な生き物が自然界にはたくさん存在する。

シマウマは常にライオンの”ご馳走”になる可能性の中で生きているし、蚊は僕達の血を吸う為に命がけで人間の傍にやってくる。

皆、生き残ることに必死なのだ。

このような動物たちにとって”勝ち”とは何か考えてみると、生きることもそうだが子孫を残すこと。

それが野生に生きる者たちにとっての勝ち組といえる。

命を繋ぐこと。これもまた生きることと同じくらい生物にとって重要なことだ。

僕は釣りが趣味なので魚を例に出してみよう。

皆も大好きな「鮭」は大体、一匹のメスが産む卵の数が約3000くらい。

その中で成魚になって子孫を残せる個体は2匹程。

割合は0.06~0.07%だ。

これが魚にとっての勝ち組だ。

僕達の世界がイージーだと思えてこないだろうか?

そして、仕事が辛いからとか、恋人と上手くいかないなどの理由で絶望することがいかに無意味なことなのかお分かりいただけたはずだ。

仕事が辛いならやめればいい。

恋人と上手くいかないなら別れればいい。

簡単なことだ。

でも、自然界に生きる野生の彼らは、捕食者に追われる日々が辛くてもそれをやめることができない。

やめることはすなわち”死”を意味するからだ。

僕達は恵まれている。

そのことは初めは誰もがわかっていたはずなのだけど、コンクリートとアスファルトに囲まれた閉鎖感漂う街、都合の良いことだけを報道するメディア、自分のことしか考えない政治家によって歪められている。

見えることも見えなくなっているのだ。

転生という概念で考えてみる。

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仏教の思想で転生という概念がある。命あるものは死後に別の存在として生まれ変わるというものである。

僕は無神論者だがこの考え方はアリだなと思っている。

死後は皆等しく無だ」と言われるよりずっといい。

そして、その”転生”で考えてみると人間に生まれた時点で勝ち組なのではないかと思えてくる。

もし、あなたが人間ではなくミミズとして生まれていたらどうだろう?

1日の終わりに「今日も無事に過ごせてよかったと感謝するのではないだろうか。

ミミズにそんな思考があるのかは別としてだが。

そして、僕達人間が羨ましいはずだ。

食べ物はいくらでもあるし、命を狙う者もいないし、毎日が楽しそうに見えることだろう。

「明日テストだ、だりー」とか言っていたらミミズにとっては不快でしかないはずだ。

命がかかったテストでもあるのかと。

地球上のすべての生物、小さな虫からプランクトンまで数えたら天文学的な数字になるだろう。

それらの中で人間は数百億人。

人間に生まれる確率は宝くじを当てるより難しい。

それだけで僕達は勝ち組といえるのではないだろうか?

もちろん、生まれる国や境遇によっては不幸な人も出てくるだろう。

それでも、ミジンコやプランクトンに生まれたかったという人が何人いるだろうか?

日本人にとってはそんなこと考えもしないだろう。

人間にしかも日本という国に生まれた時点で勝ち組中の勝ち組だからだ。

世界広しとここまで恵まれた国はそうない。

しかし、そのことがわかっていない人が多すぎる。

だから、他人を虐めて悦に入る人間が出てくるのだ。

ではどうすればいいか?

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自分のことを”勝ち組”だと思っている人も、”負け組”だと思っている人も一度、広い視野で自分自身を見つめ直すべきだろう。

効果的なのが、大自然の偉大さに触れること

見ていると吸い込まれそうな星々が輝く美しい夜空、堂々とそびえたつ広大な山々、これらを眺めていると自分が地球という星のほんの一部分に過ぎないちっぽけな存在だということを思い知らされる。

「社会」という狭い範囲で生きている僕達は、いつしかその範囲が自分のすべてだと錯覚してしまう。

会社や学校で自分を否定されるような言葉を浴びせられると、自分の人生そのものが否定されている気分になってしまうのだ。

地球規模で考えれば、まるで物置小屋のような狭いコミュニティの中での事なのにだ。

だから、一度そんな自分の狭い了見を解放してあげるべきだ。

自分の悩みがいかに些細なことだったのか自覚できる。

勝ち組だの負け組だので一喜一憂するのはエネルギーの無駄だといえよう。

そのことを大自然は教えてくれるはずだ。

最後に

いかがだっただろうか。偉そうに色々書いてしまったが、僕が言いたかったのは本当の勝ち負けは自分で決めるべきだということ。

自分の人生は他人に測られるものではない。

生きていると様々な”評価”を下される機会があるが、自分が下す自分への評価だけは常に100点をあげてあげよう。

それだけでだいぶ気持ちがやわらぐはずだ。

そして、大切なのは自分を信じ、愛すること。

そのことに気付いた時、あなたは本当の「勝ち組」になることだろう。

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